浅く広く

観劇の感想とか趣味のこととか

舞台 刀剣乱舞「悲伝 結いの目の不如帰」を観ました(後半)

長い京都公演がはじまったと思ったら京都公演が終わった……(このブログを書き始めたのが京都公演3日目ぐらいだった)

何もかもが遅い。このブログを公開するころには九州公演がはじまっちゃう。

 

 

 


気を取り直して、明治座公演の感想と解釈をつらつら綴っていきますー。わ、めっちゃ長い。
ネタバレ一切配慮なしなので!ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、ちなみに私は刀ステ大好き人間なので、周りがなんと言おうと賛美しちゃってます。
うるせー、私が面白いと思えればそれで良いのだ!!!

 

あと、考察苦手な上に絶望的に頭が悪いので記憶があやふやです。セリフとか意訳って感じ。
しょーもねーな。ってな感じで読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、サブタイトル的にハッピーエンドじゃないのは心のどこかで覚悟してたからね。大丈夫大丈夫(全然大丈夫じゃない)(泣いた)(知恵熱出た)

 

 

 

全然関係ないし、話もつながってるわけないんですけど、FF零式で大泣きしたかつての自分を思い出した。FF零式大好きなんですよね……。あれ刺さるオタクは悲伝も刺さる。

 

 

 

■「結の目の不如帰」の結び

虚伝から始まった刀ステ本丸の刀剣男士たちが迎えた結末は三日月宗近の刀解」でした。

 

刀解。審神者が自らの力で刀剣男士の顕現を解くこと。

 

このシステムを拾ってきたかー……。

「戦場で死ぬことも叶わず」っていう義伝での伊達政宗の言葉を思い出した。戦うものたちにとって、これってすごくやるせない。
敵と戦い折れるのではなく、主の手によって(刀剣男士にとっての)死を迎える。ゲームをプレイしているときは多少の罪悪感はあれど普通にポチポチしていたシステムですが、実際目の当たりにしてそれが重くのしかかってきました。
刀解は、あくまでゲームのシステムとしてこっちはとらえていたのでね。

消えていった三日月を見届けた山姥切国広の後ろ姿に、胸が締め付けられました。思えば、破壊と刀解を両方目の当たりにしたのはまんばちゃんだけなんだな…。

 

「歴史とは、個々の人生が糸としてそれぞれ集まり一つに束ねられているもの」と刀ステでは説いています。
三日月宗近は歴史を何度も遡ることで、存在そのものが歴史の糸を絡め・歪めてしまう「結いの目」とする特異点となってしまっていた。

結の目は、敵・味方そして歴史そのものにまで影響を与えてしまう。
足利義輝の所有する刀に宿る心が一つに集まり「鵺」として顕現してしまう
・義伝で倒したはずの伊達政宗が所有する「黒き甲冑」が再び現れる
歴史修正主義者に結の目の存在を知られてしまい、本丸を置いている時間軸が特定され、奇襲を受けてしまう

その結果、時の政府は審神者三日月宗近の刀解もしくは破壊を命じます。


3時間半の物語を説明するとめちゃくちゃ長くなるのですごく端折りますが、結末は↑こんな感じ。
他のブログさんだと、もっと詳しく(あとわかりやすく)あらすじまとめてくれているところがある。

 

結末が結末なので、今回ものの見事に賛否両論ですね!まあ「賛」の意見がほとんどな感じですが、「ガッカリした」的な感想も見受けられます。(私は最高だと思ったけど)

多分、悲伝を観て納得のいかないモヤモヤを抱えて消化しきれてない人たちは、三日月が一番の原因だと思う。三日月宗近の物語とその結末。
だって、報われないんだもん。
加えて、報われなさに対する説明にも物足りなさを感じてるんではないかな。

 

こうなってしまった原因はなんなのか。
こうなる以外の道はなかったのか。
何故、三日月宗近が結の目となってしまったのか。

 

悲伝を観てみんなそう思ったはず。
「集大成」と銘打っておきながら、消化しきれない気持ちを抱えたまま終わってほしくない気持ちがあるからここまで賛否が分かれてるんですよね。きっと。

「終わりなく続く円環の時間」というその事実を、一つの答えとして受け入れられるかそうでないかでこの舞台の解釈は分かれると思います。
終わってないじゃん、ってなる。
いや、終わってるんですよ。「終わりなく続く」がこの本丸の結末。物語を結んでる。

分からないことだらけの中、三日月宗近が刀解されてしまった。この理不尽さとやるせなさを観客と刀剣男士が共有しているんですよね。
だから、この心の共有こそ悲伝の意図する部分の一つだと私は解釈しました。

 

時々「風呂敷を広げた状態で終わらせる舞台を作るなんて、プロとしてどうか」といった意見をよく見ますけど、いや、普通にあるよ。
個人的にこういう話が好きなのもあるせいか、風呂敷畳みきらずに閉店してしまって「待ってくれ……!」って気持ちになったこと過去に多々ある。

 

もしかしたら、悲伝の大千穐楽でまんばちゃんがカーテンコールに一人残って「では、次の戦場に向かうとするか」というセリフとともにスクリーンが下りてきて「新章 開始!!」ってバーンと文字が映されるのかもしれない(映してくれ)

もしかしたら、次作があるとしても末満は脚本だけで演出は別の人がやるのかもしれない(某ミュみたいに)(なっ、マーベラs)

 

淡い期待と少しの確信を残しつつ、でもまあそうならなかったとしてもそれはそれで受け止めようと思います。そういった物語があっても良いと思う。

ていうか、パンフにも雑誌媒体でも書いてある内容から「全体の1幕が終わっただけ」って感じする。

 

ていうか、この空白の部分を自分なりに解釈して埋めていく作業が大好きなんですよね!!舞台ってターゲット層もグッと高くなるし、もう一歩想像力が必要な作品にしても良いじゃんと思ってます。面白ければ。

個人的にモニャる点を強いてあげるなら、義伝の時も思ったけど実写の映像がアレだよね……。なんかこう、こう……(察して)

 

■今回のテーマはなんだったのか?

「刀・刀剣男士とは」「何故、歴史を守るのか」

この2つがやっぱり主軸になっているんだろうな…。

 

虚伝でも不動君が言っていましたが、かつての主が死ぬ運命を守らなくてはいけない理不尽さを、なぜ刀剣男士たちは受け入れ力を貸してくれるのか。

個々で思うところや理由はあれど、三日月宗近は一つの思いを吐露しました。

 

「永禄の変で、俺は足利輝義に使われることはなかった。守りたくとも守れなかった」

「だが今は、身体を与えられ自らの意思で動くことができる」

「だから俺は、歴史を守るのだ」

 

かつては人の手で振るわれなければただの物に過ぎなかった。けれど今は、己の守りたいもの・守るべきものを自分の力で守ることができる。そして、三日月宗近ら刀剣男士に与えられた使命は「歴史を守ること」。

だから、歴史を守る。

 

よくよく考えてみると、それって結局自分の意思なのか?と疑問に思うんですけど、意思を与えられてもなお彼らは「道具」なんだなとここにもまた切なくなる。

与えられた使命が「歴史を守る」ことであるならば、それを全うする。末満は別の作品で「名は呪い」としていましたが、刀ステにおいても刀剣という「道具」の呪いが色濃いなと思いました。

義伝で黒き甲冑も言っていたように「そこに自らの意思はないのか?」「時の政府らの傀儡ではないか」ほんまやな!

意思と体を与えられたにも関わらず、結局は人に与えられた使命の元でしか生きることができないやるせなさ。その使命に抗うことをしない・考えない刀剣男士たち。

そして、求められるがままに歴史を何度も守ってきた結果、結の目となり審神者に刀解されてしまう。それを何度も何度も繰り返す。

 

「帰りたい」「帰りたくない」

「未来を守らなくてはいけない」「この円環を断ち切ってほしい」

 

矛盾している。

茫然と三日月が言ったあの台詞が印象的。人の心は複雑怪奇。何度も同じ時を繰り返す三日月の中に垣間見えた狂気とそれを凌ぐほどの心の強さ。

鈴木拡樹はすごいな!!!!(結局はそこ)

風魔とかのぶらんとか見てた時は、ここまで演技ができるようになるとは思ってなかった。

人の心がありながら、人とは異なる付喪神としての宿命もあわせもち、その2つにがんじがらめになっている三日月宗近にゾッとしてしまいました。

いやもう語彙力がないからすごいしか言えないの!!本当にもう神様みたいになってんの!!うまく言えないから観て!!!!

 

初日が上映会だったんですけど、顔が抜かれてる時がもう切ないなんてもんじゃない。燭台切を刺し貫く瞬間とか、まんばちゃんと最後の手合せとか、「矛盾している…」とつぶやいた時とか、約束を交わした瞬間の顔とか、セリフ以外から伝わる情報量が半端じゃない。ただでさえ高い「三日月宗近」のハードルを鈴木拡樹が更にどんどん上げちゃってる。ある意味弊害が発生してない?大丈夫???

 

刀解の儀式が終わるにつれて人の形が保てなくなってしまうんですけど、その時は髪も服も真っ白なんですよ。

全身白だと顔が黒く見えるはずなのに、全然違和感なかった。元々のお顔が白いのか、演技がすごすぎてそれどころじゃなかったのか分からないんだけど、悲しいほど美しかった。

 

荒牧慶彦も末満健一も言っていたけど、鈴木拡樹の存在が本当に大きいと思いました。この三日月宗近がいたから、そこを支えにカンパニー全体が作品のクオリティを最高値まで上げていったんだと、とてもとても伝わる。すごい。

 

「刀であること・刀剣男士であること」

この部分を大きく背負ったのは燭台切・歌仙、骨喰・大般若かなあ……。

特に虚伝から登場していた燭台切に関しては、一種の「解」がここで提示された気がする。はじめから登場していて、毎回「みんなを支える」側だった燭台切が、当事者の一人として自らの存在意義について語ったのは本当に胸が熱かった。

燭台切クラスタ、生きろよ……。

 

なんていうか、支部とかクラスタ間では認識してネタにしていたものの、公式メディア間では一切(違うかも?)表に出てこなかった「焼けた刀」としての扱い。

燃えた焼けた消えたに関しては他のキャラクターの方がやりやすかっただろうに、あえて燭台切にスポットを当てたことに「おっ」と思いました。

 

そして、燭台切に問題提起(君は刀だ、のくだり)をしたのがなんで歌仙だったのかと考える。

メタ的に言えば、制作委員会から歌仙兼定を登場させるようオーダーがあったからだと思うんだけど、それを抜きにして「自身の物語」がテーマだった義伝で歌仙と燭台切の間で感情の共有があったからなんだと思う。というかそうだよね?

 

歌仙は風流を愛する刀で、しかし武器でありながら血なまぐさい逸話を持つ元主を軽蔑していた。そして、その主の物語に深く身に付いてしまった自身の性質に対しても自尊心と屈辱の狭間に揺れていた。

そんな歌仙が燭台切に対して「貴殿は刀だ。それを忘れるな」と強い口調で諭します。

 

■あ、ごめん、ちょっと私初期刀が歌仙だからすごい妄想広げたい。急でごめん。

歌仙って一部の仲間しか分かってないのかもしれないけど、人見知り。だから、他の刀に対して思うことは多々あってもそれを直接伝えることってあまりなかったりすると思うんですよ(もちろん、本丸の運営や戦に関してはちゃんと話す)。

 

だから、燭台切に「歌仙君は手厳しいなあ」といわれているけれど、それは歌仙の信頼でもあると思うんです。燭台切のあやふやな部分を指摘して、自分の存在意義や使命と真正面から向き合ってくれという彼なりの背中の押し方なんですよね。これが燭台切以外なら言わないかもしれない。「しっかりと地に足をつけてまっすぐ立ってほしい(=風流じゃない)」的なことを言えるのって今までお小夜しかいなかったから、個人的にはすごく嬉しかった。※伽羅ちゃんはまたちょっと別

 

言ってしまえば価値観の押し付けでもあるんですけど、正論でもある。そもそも刀剣男士たちって、はじめて得る人の身体を楽しんでいるものはいても刀であるよりも人でありたいって思うことはないと思うんですよね。でも、燭台切は「人の生活の方が向いている」と零す。これは人の生活が楽しいといっているのではなくて「刀としての役割」を諦めているようなニュアンスに聞こえました。

 

心の奥にあいた穴がなんなのか思い出せない。

自分には何か大事なものが抜け落ちているのではないか。

それはこの身が燃えたことに関係しているのではないか。

 

自分でもきっと無意識のうちに刀であることの本質を見失いそうになっている燭台切に、歌仙は「貴殿は包丁じゃないだろう」と返す。その心が燭台切の本意ではないことを理解しているからこそではないでしょうか。「刀の本分を忘れるな」というセリフは「刀であることを諦めるな」という歌仙なりの訴えなんだろうなと解釈しました。

まさに、初期刀として選ばれるべき素質じゃないですか。。

 

それにしたって、背中の押し方がまあまあ強くないですか?

義伝でもそうだったけど、まんばちゃんが小夜ちゃんを導くシーンも「お前はどう在りたい?」ではなく「お前はどう在りたい!!」っていう感じだったし。なんだお前らすごく男だな!男だったわ!!

 

あと、本丸襲撃の時にまんばちゃんに審神者の元へ向かうよう促したのも嬉しかった。義伝の時も三日月と肩を並べてたり、さては貴様本丸年表の初期からいるな?

 

 話を戻しますが、刀派や持ち主の繋がりがあるわけでも、まとめ役としての責務があるわけでもないのに、燭台切の様子に気がついたあたり今回与えられた役目は大きいなと思いました。

 

個人的な考えですけど、人見知りだけどそれを克服しようと行動に移せる人ってめちゃくちゃ人を観察しません?

言葉や表情が相手にどんな作用をもたらすか観察して、考える。「歌仙は人見知りの裏返しでよく喋る」と小夜ちゃんに言われていた。ここに繋がる心理って「戦も歌も一人でやれるというのが間違いだ」にあると思ってます。

人見知りだから、できれば他人に心をすり減らすことなく穏やかに生きたい。けれど、一人では何も成し得ない。それをわかっているから歌仙は仲間を観察する。

燭台切の異変に気付いた仲間はいるけれど、多分本人の性質的に甘えるような真似はしないだろう。だから、厳しい言葉で姿勢を正そうとしたのかもなと解釈しました。……いやもう解釈とかそんな難しい話じゃなくてまわりとちょっと違うアプローチで燭台切と向き合った歌仙が最高なんだって言いたい。

 

めっちゃメタな話しますけど、初期刀5振を演じた役者さんの中で歌仙だけ年齢高いのエモくないですか……?安定感が尋常じゃない……はじめからなんの心配もなく観られる安心ブランドマークのついた和田琢磨という人間が歌仙兼定として選ばれたのがもはや神に感謝するレベル。ありがとう世界。ありがとう刀ステ。ありがとうプロデューサー。

 

 ■めっちゃ好きなシーン

これ、これが書きたかった。

頭使うのも文章におこすのも苦手なんですが、これだけは有権者に訴えたい。

 

Everlastingの曲が流れるシーン最高じゃないですか???!!!!

 

 

いや、むりでしょこんなん……あの瞬間、The 総合芸術って感じがすごいした。

先にいっておきますね。この演出もすごい賛否分かれると思う。かなり攻めてる演出でした。

英詩で歌われるBGMに合わせて役者がマイム(台詞なしの身体表現)を行うんですよ。虚伝の時に三日月が言った「さあ……踏ん張りどころだ!」のシーンでスローモーションになるじゃないですか。あれみたいなのが1曲分ガッツリある。

まず、歌詞のある音楽が演出に組み込まれるだけで結構驚かれるはずなんですけど、さらに刀剣乱舞の世界観で英語ときた。めちゃくちゃ衝撃的でした※チャチャチャはノーカン

ただ、UKロックのようなサウンドに末満さんらしい光の演出と音ハメ。かなり辛いシーンなんですけどひたすらに美しかった……。

まんばちゃんの登場が、大勢の敵を吹き飛ばしたあとに出てくるんですけど綺麗すぎて泣いた。わけわかんない……やめてほしい……最高……。

 

この演出好きすぎて、刀剣乱舞をそんなに知らない友達にこのシーンについてプレゼンしまくってたらライビュのチケット取ってくれた。。ありがとう。。

 

パンフレットのスタッフ一覧に「マイム指導」があったので、なんのこっちゃと思ってたけど多分ここのことですよね。最高。このシーンのためだけに指導つけてくれるのありがたみすごくないですか?

絶望的な状況でも、あの山姥切国広だけが唯一の光みたいだった。随分煤けた太陽だ……。

 

スローで展開されるシーンなので、音ハメがすごく光ります。

一瞬音が止まると動きも制止する。音が再開すると同時に舞台の登場人物たちも一斉に動き始める。

刀剣男士と時間遡行軍は敵対しているけど、メインの役者さんとアンサンブルさんたちの連携が素晴らしかったです。本当にここのシーンだけで一つの作品をみているようだった。

音と光とマイムの融合。サントラの発売を一刻も早く求む。

歌詞もすごいぞお。たくさんの審神者が和訳・考察してくれてるけど本当にしんどい。なんていう歌詞をつけたんだ。

 

私、悲伝の音楽すごく好きです。いつも良いけど、今回のロックテイストは特に刺さる。ジョ伝でも音楽が少しケチャっぽかったりオルガン使ってそうな壮大な音楽だったりしたけど、今回の「洋!」って感じもミスマッチさが逆に好き。スイカに塩みたいで。サントラが欲しい!

 

だいぶ長くなったのでこっちも結ぶとしましょうかね。。

相変わらず誰に向けてるのかわからないブログですが、気持ちの整理としてつらつら吐き出しました。

読んでて気持ちよくないと思います。

それでも、もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、心からの感謝を。

ありがとうございました!

 

はーーーーーはやくライビュにならないかな!!!!